「無理強い(むりじい)の十字架」 ルカ23章26節 筑紫野南キリスト教会協力牧師 瀬戸 毅義
彼らがイエスをひいてゆく途中、シモンというクレネ人が郊外から出てきたのを捕えて十字架を負わせ、それをになってイエスのあとから行かせた。(ルカ23:26 口語訳)
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イエスが十字架刑を受ける日、エルサムの都は巡礼の人々で溢れていました。イエスを歓迎した人々も囚人としてのイエスを嘲るのでした。群衆の移り気、変わり身の早さ。無情です。四人のローマ兵に四方を固められ、イエスは十字架を背負って歩きます。行く先は刑場のゴルゴタ、つまり髑髏ケ丘[1]です。十字架につく者は自分でその横木を運ぶのがならわしでした。縦木は刑場にありました。イエスにはもはや十字架を負う力はありません。ゲッセマネでの祈り、捕縛、何回もの審問など…。裸にされ柱に括りつけられ鞭で打たれました[2]。長い皮ひもで出来た鞭には、先の尖った小さな骨片や鉛の球がついていました。これで叩かれると、皮膚は裂け肉が露出しました。その残酷さは例えようもなく発狂し気を失うほどでありました。棘の冠を被らされ、手の平で殴られ侮辱されました。
シモンというクレネ人が、見るも痛ましい憐れなイエスの行列に出くわしました。シモンは朝早くに宮に参ろうとエルサレムの近郊から出て来たところでした。クレネは北アフリカ、リビヤの都で多くのユダヤ人が住んでいました。シモンはエルサレムの郊外に住んでいたのでしょうか。あるいは参詣のためクレネからエルサレムに来ていたのでしょうか。どちらにしても、彼はこの不吉な行列とばったり出会ってしまったのです。更に悪い事に、彼はイエスの十字架(の横棒)を無理やり背負わされました。シモンはローマ兵から徴用されたのです。肩を槍の先でたたかれれば、それは強制徴用の合図でした。ローマ兵はユダヤ人を徴用し嫌な仕事をさせました。ユダヤの国はローマの占領統治下だったからです。
なぜ大勢の見物衆の中から、シモンが選ばれたのかわかりません。彼は偶々その憐れな囚人の行列を見ていたのです。
シモンはイエスの弟子でも何でもありませんでしたが、イエスの代わりに十字架を背負わされたのです。シモン夫婦と子供たちは後年クリスチャンになりました。マルコによる福音書には「アレキサンデルとルポスとの父シモンというクレネ人が、郊外からきて通りかかったので、人々はイエスの十字架を無理に負わせた」(15:21)と書かれています。ローマ人への手紙には次のように記されています。「主にあって選ばれたルポスと、彼の母とに、よろしく。彼の母は、わたしの母でもある」(16:13)。クレネ人シモンの子ルポスは、ローマ人への手紙が書かれた頃、すでにクリスチャンとして知られていたことがわかります。ルポスの母は、パウロの母親のようにパウロに尽していたこともわかります。衆人の面前で恥をかかされたこの出来事(十字架を負ったこと)は、終にシモン一家の救いとなりました。不思議なことですが事実です。無理に背負わされたと思った十字架の中に、恩寵が隠されていました。旧約聖書にもよく似た話があります。アブラハムは、一人子イサクを献げるようにと神から強制されました。この出来事からアブラハムは真の信仰を学びました。神は十字架の苦難を恩恵としてくださるのです。
私たちの十字架は、イエスの御名のために受ける苦しみと嘲りです。貧、病、死別など望まない十字架を負いつつ、呟かず黙ってイエスの後に従う時、信仰の目が開かれます。
[1] マタイ27:33 「かくてゴルゴタといふ處、即ち髑髏(されこうべ)の地にいたり」(文語・大正改訳)
カルバリ(Calvary)はゴルゴタ(Golgotha)のラテン語名。
[2] マタイ 27:27-31。